「慶次は、一体どうしたんだ?」





そう小十郎へと政宗が切り出したのは、慶次が眠りについた時だった。
最初は眠りたくないと駄々を捏ねた。
だが、異様に疲労が溜まっているのは明らかで。
半ば無理矢理、小十郎にも手を借り床に就かせたのである。
始めは眠れないとぼやいていたが、すぐに静かに目を閉じて、今は政宗の隣で眠っている。
傍らに控え座る小十郎は、ゆっくりと顔を上げた、

「何ですか、藪から棒に」
「慶次だ。もう、お前も気付いてるだろう?」
「…ああ…そうですね」

一瞬、小十郎が慶次を見ながら言い淀む。
ふと思い出す、自分の名前を一度でも忘れてしまった事。
あのお喋りな口が動かなくなり、ただぼんやりと、外を見詰めていた事。


政宗を見ずに(気付かずに?)ただ、ぼんやりと。


政宗はじっと、小十郎の答えを待つ。
重い口を、小十郎が開いて。








「…あれは、鬼に記憶を、零されているのです」








出てきたその台詞は、思いもよらないもの。
「…What…?」
再度、小十郎へと問いかける。
たっぷりと間を空けて、小十郎は、政宗を真っ直ぐに見据えて口を開いた。
「稀にいるそうです。鬼に見初められ、自分ではなにも分からないうちにゆっくりと記憶を握る手を取られ、物事を何も…思い出せなくなる者が」
小十郎が以前書物で読んだ話によると、それは老人が、時折なってしまうソレととてもよく似て。
単純に言うと「呆け」てしまう状態に陥ってしまう。
忘れたくなどないのに、過去を思い出せなくなるだけでなく、新しい物事は覚えられず、自分をも失い、そして。




「…Lastは?」




「政宗様…これ以上は」




「小十郎、最後は」




短い、溜め息一つ。












「取られた手を引かれて虚無の世界へと連れて行かれて、生きる事さえも、忘れてしまうそうです」












瞬間、背中を駆け抜けていくのは恐怖。
政宗の咽が、ぐう、と鳴る。
生を忘れる、それは即ち「死」を表し。
己の意思など関係なく、この世を棄て、一人違う世界へと旅立つということである。
政宗のことなど忘れ、一人、慶次だけが先に。

「そんな、馬鹿な……It's impossible.」

咽から絞り出す声が、僅かに震える。
指先からは熱が引き、妙な冷たさを帯びる。

「私も信じられません、が…前田の様子ですと疑いようもないかと」

政宗は、慶次へと視線を戻す。
小十郎は、静かに部屋を出て行く。
眠る顔は安らかで、規則正しく呼吸音が聞こえてくることは、いつもと何も変わらない。
布団の中へと横になり、慶次の身体を抱き締めた。
自然とこちらへと擦り寄ってくるしぐさも、いつもと同じ。
なのに慶次の記憶だけは今のこの瞬間も、少しずつ、少しずつ、記憶を掬う掌から零れ落ちて。


覚えていた事が、思い出せなくなっていくこと。
覚えられていた事が、覚えられなくなっていくこと。


それを、一人で抱え込んでいたこと。


慶次の性格から察するに、自分に心配をかけまいとしたということはすぐに分かる。
分かるのだが、それが酷く悔しく。





「…俺に、もっと、委ねろよ…」





強く、強く、眠る身体を抱き締めた。
この温もりだけは、忘れてくれるなとばかりに。















そして朝。
腕の中に確かにいたはずの身体は、そこから、いなくなっていた。















アンタは誰。
ココは何処。


それより俺は、誰なのだろう。